憧れの飛騨ウル 笑顔で完走 100キロ

2004年7月 石川 平八郎  

1 なんとまあ無謀な

 2004年7月17日(土)ここは飛騨古川駅前にあるホテルのパーティー会場、明日の朝スタートする「飛騨ウルトラマラソン」のレセプションが開かれている。選手、応援団、ボランティアスタッフなど300人近い参加者が、飛騨のご馳走やお酒を前に交流を深める。私はといえば100キロの初心者。周りの選手はすべてベテランに見える。スキンヘッドのベテランランナーに「私はウルトラが初めてなのです。明日はよろしくお願いします」とご挨拶。すかさず返ってきた言葉が「えーっ 始めてのウルトラが飛騨ウル〜〜。なんとまー無謀な」(「まーまーよいではないか」と思いつつ、そーだったのか、ちょっとどきどき。でも100キロの大会はどこでも厳しい、気合を入れて頑張るぞ)

 と、そんな会話を楽しみながらエネルギー補給。アルコールも程ほどに宿舎へ帰って明日の準備。わくわく・どきどき楽しい一日になりそうだ。

 

2 憧れの飛騨ウル

 走り始めたのはいつのことだろう。30代には通勤ランで楽しんでいたが。45歳のある日、サッカーの練習試合でかっこよくボレーシュート。着地が乱れ、左ひざをひねり再起不能に(もちろんシュートははずれ)、2年間運動ができず左足の筋肉が退化し「このままでは松葉杖状態になります」とのお医者さんのご託宣。ここで一念発起したことが飛騨ウルにつながるとは、人生は分からないもの。

 はじめは、足を引きずりながら500メーターのお散歩。そして、ほとんどひざを曲げないスクワット。大丈夫かな。しかし、一月もすると芝生の上で、2キロぐらいはままごと程度に走れるようになる。(このとき47歳でした)少し走れるようになると夢は大きく、50歳になるまでにフルマラソンを走ろうと決意。その夢はフランス「プロバンス国際マラソン」を49歳と1ヶ月で走り抜け実現(5時間かかりましたが)

 時々マラソンの大会に出ながら、桑名周辺でウルトラマラソンのスタッフに。100キロを走ることのすごさと、選手のいろんな表情、感動を経験。そして、「飛騨で開催されるウルトラのレースは山越えの厳しいレースだが、地元のスタッフもしっかりしていて良い大会だ。」との情報。自分もいつかは走りたいとあこがれることとなる。

そんな時、14回続いた国内でも屈指のこのレース「飛騨ウルトラ」も、今年でファイナルを迎えると聞き、「よし、ここで100キロデビューを飾るぞ」と決意。憧れの飛騨ウルに向け本気で練習を始めることとなる。

 

3 厳しくも楽しい練習

 2年前から仲間に入れてもらった「桑名走友会」、このクラブには市民レースを楽しむランナーから、さくら道を走るウルトラランナーまで、多くのタレントがそろっている心強い仲間だ。そして、私が飛騨ウルトラに挑戦するといったとき、「さっさと申し込んで一緒に練習しましょう」といってくれたのがクラブのK園さんだ。「練習方法は私が知っているから心配ない」と心強い師匠が味方についてくれた。

 55歳になる前にウルトラマラソンを完走。夢のある目標だ。以来、週末の5時間走を中心に(といっても初めのうちは3時間が精一杯、そして、その後のウイークデイは疲れて走れない状態)月に200キロ以上の練習をめざしてきた。その練習も3ヶ月目に入ると師匠のメニューどおりの練習ができるようになり、練習がてらに出場した安城でのフルマラソンでは、初めて歩かずに自己ベストの4時間30分で完走することができた。少し自信ができ、練習も楽しんで5時間走ることができるようになった。

 飛騨へ旅行に行ったときには高山から平湯峠までの往復60キロのLSD、わが町桑名の近く、多度山(標高差400m往復7.5km)でのヒルクライムなど、充実した週末を過ごすことができたのも、飛騨ウルトラのおかげだ。5月には月間390キロを走り、いよいよ本番が楽しみになってきた。

 

4 波乱の予感

 大会当日の宿舎、師匠と私、同じ三重県人の3人が相部屋、明日のレースに備え早々と布団に入る。午前2時、外では降り続く雨の音。そして突然の雷鳴。うとうとする内に午前3時。起床時間だ。そして準備を整えバスにてスタート地点へ。雷、豪雨、波乱のレースの幕開けを予感させる空模様だ。

 集合場所のコミュニティーセンターではおにぎり、パン、コーヒー、など軽食を用意いただいた。30分前のおにぎり。何よりのエネルギーになる。雨も小降りになりこれから1日走っていられるとわくわくする中いよいよスタートだ。アーチの前159人の選手が並ぶ。ところがスタート方向は反対。あわてて向きを変える。K園師匠、平八郎私設応援団(総勢8名)もあわてて反対方向へ走るも間に合わず。後ろのほうから「頑張れ」の声を背に飛騨路一周の旅に。(159人中131人完走。波乱の予感はハズレ、事故もなく順調なレースでした)

 

 

 

5 自分を信じて一歩一歩ゴールを目指す

 半年間の練習は、師匠から直接のアドバイス、そしてホームページでは、函館トライアスロンクラブのM本先生の医学的見地からのアドバイス、ウルトラランナーのT代さんの体験的アドバイスなどを読ませていただき、自分なりの計画をたてて進めてきた。そして無理なフォームによる、足首やひざの故障については、P.T.TラヴィのM野先生に、骨格の矯正、呼吸法をレッスンしていただき、スタート地点に着いたときは心身ともに問題なし。

雨の中、古川のまち中、そして実りを迎えた田園地帯を進む。最初の小休止、20キロ地点の丹生川村役場では、応援の仲間が迎えてくれた。呼吸も楽で順調だ。さあここから上りが始まるぞ。朴の木平からはいよいよ平湯峠を目指す急坂が始まる、M野先生の「清清しく走ってきてください」の言葉を思い起こし、さわやかに上り続ける。予定の6時間で平湯峠到着だ。ここで師匠に追いつくも、下りが苦手な私は再び師匠に離される。このあたりになると大体実力的に似たもの同士になるのか、同じ顔ぶれが抜きつ抜かれつ。

時にはマラソン談義をしながら楽しく下るが、60キロ以上の距離は経験したことがない私は、このペースで最後まで走りきれるか、との不安がもたげる。しかし、これまでにない練習で準備を重ねてきた自分を信じ、一歩一歩ゴールを目指した。 

75キロを過ぎた大坂峠へと向かう坂、少しずつダメージとして伝わってくる足の痛みや、筋肉のこわばりの中、おいしい空気、緑の木立ちやせせらぎの音、飛騨の自然は、飽きることなく私をつつみ、ゴールへと導いてくれた。

そして、「きついな」と思ったその時、そのときに、私の背中を後押しし、勇気を与えてくれたのが、レーススタッフはもちろんのこと、調整の間に合わなかったランナーによる私設エイド、畑仕事をしながらの地元の方々の応援、精神的にもつらくなる最後の峠越えを伴走してくれた地元中学生ボランティア、そして何より桑名から駆けつけ、スタートからゴールまで終始声援してくれた職場の仲間と家族だった。

 

             No16が石川さん

 

 

6 笑顔の完走・さて今度は

平湯峠の最後の天を突く登り、大坂峠の転がり落ちるような下り、変化に富んだ飛騨路の100キロをのんびりと楽しませていただいた。

87キロ地点の第22ASスタッフから「あと峠まで3キロ」と聞いたとき、きついけど、足はまだまだ残ってる。「やった、もう絶対完走できる」と思ったとたん涙があふれて止まらなかった。そして、もっともっと感激して、ウルウルになると思っていたゴールでは、楽しかった1日を象徴するように、終始一緒に走ってくれた師匠、応援の仲間、家族とともに、みんな一緒に 笑顔、笑顔、笑顔でテープを切ることができた。

 

肌寒さすら感じる午前中の雨、そして午後には、うって変わって夏の暑さと強烈な日差しの中、レースを支えてくれたボランティアの方々。スタートからゴールまで応援し支えてくれた、家族、仲間。そして、挑戦する勇気を与えてくれた師匠をはじめ、多くのウルトラランナーに感謝したい。

 

 49歳でのフルマラソンへの挑戦、そして54歳でのウルトラ100キロへの挑戦、さて次は・・・・・・。

 

04飛騨ウルトラマラソン完走記  石川平八郎(ランナーネーム)


 

追 記

第15回飛騨ウルトラマラソン スタートゴール 国府町福祉の里

平湯峠、大坂峠の二つの峠を越える標高差1200m、距離100キロのレース

開催期日 2004年7月18日

  記録 100位/159人(完走131人) )

  時間 13時間30分34秒(制限 14時間))

  平八郎、K園師匠 同記録同タイムでゴールしました